放送の禁止用語について思うこと

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写真週刊誌「FLASH」のグラビア「謎の聖女」シリーズで人気を博した女優の璃子(26)が、19日放送のTBS系「サンデー・ジャポン」で、埼玉県の非行生徒リスト流出問題に関連して話した内容で、番組の最後におわびがあった。

引用 爆笑問題・太田光がサンジャポでおわび 「謎の聖女」が暴走

 

先日、とある時事ネタ番組で埼玉県非行生徒リスト流出問題が取り上げられ、コメンテーターのグラビアアイドルが「皆(ママチャリを)改造して乗ってるくらい結構問題児だったんですけど、結構みんな悪かったんで、低能な集まりだったんですよ」と発言し、周囲をドキッとさせた場面として紹介されていました。

最近放送で発言できない用語が多すぎのような気がします。人権侵害などと言われる言葉が多いようですが、本当に多くの人がそんなに気にしているのでしょうか。

以前はこんなことまで問題に挙がった

昔、「婦人」の「婦」という漢字が問題になったことがあります。理由は、つくり部分が「箒」を表し、女性が箒で掃除している事を表すので、「婦」の字は差別語だと言った主張を耳にして驚いたことがあります。

しかも、よくよく調べてみると、「婦」のつくりの意味は、箒ではなく、祭壇などを清める呪具であるとのことでした。間違った解釈で、差別語を主張するのもどうかと思いますが、それよりも言葉一句一句にピリピリしている現状には、何だか悲しい気持ちにもなってしまいます。

おそらくは、一部の主張が強いNoisy Minorityが騒いでいるのでしょうが、これらの少数派の主張が、多数派に影響するのはいかがなものかと思います。

また、表現を変えたにしても、意味するものは同じなので、結局その発言をする人の心の問題であり、また、TPOの問題でもあり、どういう意図でその発言をしたのかを問う方がよほど自然のように感じます。

実際、バラエティ番組で女性に対して「ブス」という表現がよく見受けられますが、私個人的には「坊主頭」が放送禁止であることよりも酷い言葉のように思われます。しかし、その言われた人がそこを上手くかわして笑いにしています。この「かわし方」や「解釈の仕方」によって、放送が成り立つのなら、多くの放送禁止用語はなくなりそうな気がします。

親と家庭の機能は?

そうは言っても、いろいろな番組で表現が狭くなっているご時世です。そして、「テレビの表現が教育に悪い」だの、「いじめにつながる」だの言われ、あれもダメ、これもダメという風潮が見受けられます。テレビでやっている事が悪いと感じるのであれば、それをやらないように注意することが大事ですし、その注意は、テレビや学校である前に、親や家庭が行うことが大事なのではないでしょうか?
つまりは、放送禁止用語に対してピリピリするような現状になったのは、親や家庭が人の気持ちへの配慮に対し、余り機能しなくなったという裏付けとも考えられます。

どの言葉が本当に深刻で、どの言葉が問題ないのかの線引きは非常に難しいと思いますが、「えっ、こんなものまで」というのが多い現状も何だか世知辛い世の中ではありませんか?